3/9
デクライン3作のレストアは2Kスキャンにて行われた。
目的としてはモダンな映像にするのではなく、オリジナルに忠実にクリーンにするということ。 より高画質の領域(4Kなど)に行ってしまうと作品のトーンが失われる可能性があるので避けた。
米国でのデクラインシリーズの位置づけとしては、シネフィル、ロックファン両方にとっての聖杯、ということらしい。
『ザ・デクライン』は当初チャイニーズシアターのオーナーに上映のプレゼンがなされたが、「こんな映画は誰も観に来ない」と言われ断られた。そして通りの向いにあるハリウッドシアターに持ち込んだところ深夜のレイトショー1回ならOKとなった。だが結果は数千人が押し寄せ、緊急でもう一回真夜中に上映が組まれたがその2回では観客をさばききれず大騒ぎとなった。すると今度はあまりにもパンクスが観に来て劇場がめちゃくちゃになる、という理由でどこの劇場でも上映してくれなくなった。結果、フェアファックスシアターで2週間のみ上映されて終わった。興行成績はまあまあで、配給収入も得られたが、制作費を回収するにはほど遠い金額だった。
ペネロープ監督のドキュメンタリー映画でのグルはフレデリック・ワイズマン。
その客観的なアプローチが素晴らしく、デクラインでもその客観性を最も重視しているという。
『ザ・デクラインⅢ』ではスキンヘッドの連中は意図的に映画から除外された。『反逆のパンク・ロック』にはスキンズがいたが、当時はスキンズの思想や行動などは全く知らないしわからなかったという。その『反逆のパンク・ロック』に出演したSkinnerという役の人間が黒人警官を憎み、人種差別主義になるかもしれないと知らなかった。だが『ザ・デクラインⅢ』制作時にはそのような面々が存在することを知った監督は映画からは意図的に排除するようにした。


3/3
『ザ・デクライン』にTHE GO-GOsも出演予定だったが直前に断られた。
元THE GO-GOsのボーカルであり、のちにソロで大成功をおさめたベリンダ・カーライル。日本ではJR東海のCMや、めざましどようびやとくダネ!のテーマソングとして起用され、ビルボード全米No1にも輝いた「Heaven Is A Place On Earth」が有名だが、『ザ・デクライン』でフィーチャーされたGERMSの創設メンバーである。
ぺネロープ・スフィーリス監督の左手首にはGERMS BURNがある。GERMS BURNとはダービー・クラッシュが始めたもので、真にGERMSのファンである者に対してタバコの火でGERMSのロゴを手首に入れるもの。GERMS BURNを与えるのはすでに手首にそれがある者からでなければいけないというルールがある。
GERMSのギター、パット・スミア-は『ブレードランナー』『ブレイクダンス』『ハワード・ザ・ダック』などのハリウッドヒット作に出演している。
パット・スミア-とニルヴァーナのメンバーたちはポール・マッカートニーと共演、曲も共作している。
Xはチップ・テイラー作曲の1965年のThe Wild Onesの楽曲「Wild Thing」(邦題「恋はワイルド・シング」)のカバーを1984年に発表、この音源は1989年のヒット作映画『メジャー・リーグ』の主題歌として使われ、以後様々なスポーツ関連で使われている。日本でも報道ステーションやすぽるとなどで使われている。プロレスラー大仁田厚の入場テーマ曲。
『ザ・メタルイヤーズ』に登場するバンドLondonはモトリークルーのニッキー・シックスがいたバンド。
ペネロープ監督の娘、アナ・フォックスは『ザ・メタルイヤーズ』制作時にニッキー・シックスと付き合っていて、監督は母として非常に頭を痛めた。


2/26
『ザ・デクラインⅢ』はもともとその時のLAのパンクロックに焦点を当てたものにするはずだった。だがメルローズで声をかけたパンクスたちと仲が良くなるにつれ、彼らのホームレスな状況などガター・パンクスたちの生活が分かってきて、そのひどい状況から眼をそらすことが出来ず、結果的に音楽そのものよりもガター・パンクスたちの生態を追ったドキュメンタリーとなった。
ペネロープ・スフィーリス監督には3人の兄弟と母親、そして義父が7人いた。実父は白人と黒人のもめごとに仲裁に入り、黒人を擁護したことで白人に射殺された。娘の父は娘が幼いころに薬物のオーバードーズで死んだ。
監督は以前より音楽ビデオ(ライヴ映像)を仕事で撮影していたので、『ザ・デクライン』撮影時にはその手法は確立されていた。いつも監督はまずバンドのリハーサルから撮影、楽屋の模様も撮影し、本番では監督がステージで、もう一人のカメラがモッシュピットに入る。そうすることで全撮影素材を組み合わせると約10個のアングルが得られたような映像になる。
GERMSの大ファンだったニルヴァーナのカート・コバーンはあまりに好きで93年、自分でパット・スミア-に電話してニルヴァーナへの参加を依頼した。そしてLAにいたカート・コバーンはパット・スミア-が働いていたSST Superstore(BLACK FLAGのレーベルであり、鬼のように恐ろしいと言われたBLACK FLAGのグレッグ・ギンが全部を仕切っていた伝説的レーベルのショップ)に行き意気投合した。
デイヴ・グロールは自身の監督作『Sound City』と『Sonic Highway』で『ザ・デクライン』の映像使用をもとめてきた。それと引き換えに音声解説を収録。


2/23
GERMSのダービー・クラッシュの伝記映画『ジャームス/狂気の秘密』では、ダービーが心酔していたデヴィッドボウイの楽曲は映画に不可欠だった。しかし音楽出版社にあずけている楽曲の使用料は結構な金額になるので、低予算映画の場合にはハードルが高い。実際には題材となっているGERMSの楽曲も他のメンバーたちが映画の制作に携わっているにもかかわらず、音楽出版社のルールにより莫大な使用料が必要で、バンドメンバーが交渉しても変わらない状況だった。当然ボウイの楽曲も厳しいという見方が大勢を占めていた中、監督とGERMSのパット・スミアーはボウイに対して手紙を送り、作品の主旨といかに必要不可欠かを説明、極力安価で楽曲を使用させてもらえないか懇願した。すると、自身の楽曲の音楽出版もすべて自分でコントロールしていたボウイはなんとGERMSの楽曲使用料の1/5程度の金額で楽曲を提供してくれた。
ペネロープ監督はインタビュー撮影では極力出演者に何処で、どのような状況で撮影がしたいか希望を聞いた。『ザ・メタルイヤーズ』のポール・スタンレーは3人の女性とともにベッドでインタビューがいいと回答。監督はさっそくその状況を整え撮影にのぞんだが、その場でポールは監督が用意した女性があまり魅力的でないと嫌がり、自分でPlayboy Mansionに連絡して希望の女性をそろえた。
ペネロープ監督はアルバート・ブルックスの初監督作品『REAL LIFE』(1979)のプロデューサーだった。
『スパイナル・タップ』のオファーがあったとき、簡単な台本もあった。それを見てペネロープはあまりクールではないと思い、断った。その後はちゃんと内容を把握できずに理解できずに断ったことを後悔することはあるかとの問いに「もちろん!でもロブ・ライナーは最高の仕事をしたわ!」と答えた。


2/18
『ザ・メタルイヤーズ』ではGUNS’N’ROSESの撮影も予定されていたが、直前でキャンセルされ、かわりにプロデューサーからSEDUCEを勧められた。
『ザ・メタルイヤーズ』のどこか可笑しくて笑えるトーンはプロデューサーたちが主導で作ったものだった。ペネロープ監督がすべて自費で作っていたならよりシリアスな方向に行っていたとのこと。この2作目は3作の中で最も予算が大きかった分、プロデューサーの意向が強く反映された。
『ザ・メタルイヤーズ』のプロデューサーはジョナサン・デイトンとヴァレリー・ファリス。2006年のヒット作『リトル・ミス・サンシャイン』を監督した夫婦である。
ペネロープ・スフィーリス監督は45才で『ウェインズ・ワールド』で大ヒットを経験するまで全く収益を上げたことがなく、ものすごく貧乏だった。『ウェインズ・ワールド』への道を作ったのは『ザ・メタルイヤーズ』で、この作品のコメディ的な要素が彼女をメジャースタジオ作品へと導いた。
ペネロープ監督は『ウェインズ・ワールド』の大ヒットにより一躍ハリウッドのトップディレクターになった。しかしその後はハリウッドから執拗にコメディ作品をもとめられ、『ビバリー・ヒルビリーズ/じゃじゃ馬億万長者』『ちびっこギャング』などのコメディ作品を発表するも商業的には失敗に終わり、ハリウッドから追放された。ただ本人もハリウッドに型にはめられることを嫌っていたので、ホッとしたと発言している。


2/10
ぺネロープ・スフィーリス監督が最も気に入っている作品は『ザ・デクラインIII』である。
ペネロープ・スフィーリスは『デクラインIII』で家族から虐待され、捨てられたスクワッターパンクス、ガターパンクスの生き方を目の当たりにして衝撃を受けた。それ以降はハリウッドの名声など一切興味がなくなり、ホームレスの子供たちを助けることに意識が変わった。以来里親として5人のキッズを育てた。
ロサンゼルスに住んでいるいるミュージシャンで『ザ・デクライン』を知らない者はいなかった。よって二作目の『ザ・メタルイヤーズ』では多くの人が参加、出演を希望していた。
ペネロープ・スフィーリス監督は『ザ・デクラインIII』の制作を決めたとき、メルローズ・アベニューを歩いていたパンクスたちに声をかけた。“『ザ・デクラインIII』を作ろうと思っていて、あなたたちがすごくいい感じなのでもっとあなたたちのことを知りたいと思うんだけど”。するとパンクスは“あんたに『ザ・デクラインIII』は作れない。ペネロープしか作ってはいけない”と答えた。監督は“私がペネロープよ”と言うと、“じゃあいいよ、映画をやろう”と答えた。
パンクロックやメタルのファンになるための三箇条、
1.音楽を聴け 2.ライヴに行け 3.デクラインを観ろ。
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